本多真理子

こんばんは!管理栄養士のみおです。

今日は私の自己紹介を兼ねて、今までのことをお話させてください^^

 「浦島みおってどんな人?」「食べて痩せるって本当なの?」
そんな疑問に、私自身の体験を通してお答えできたらと思います!

今でこそ管理栄養士としてダイエットに悩む方のサポートをしていますが、
実は私自身ずっと「万年ダイエッター」でした

高校生の頃から27歳まで、
「どうして私だけ痩せられないんだろう…」
「ちゃんと頑張ってるのに、ずっと太ることを気にして生きていくのかな…」
そんな風に、食事と体型のことばかり考えていました。

当時の私は…

・友達とお菓子をつまむのが日常
・コンビニやファストフードが当たり前
・部活の差し入れは、つい手が伸びる

気づけば体重はどんどん増えて、鏡を見るのが嫌になっていました。

20歳から始めたダイエットでは、極端な食事制限で53kg→39kgに。
一時的には痩せたけど、食欲は爆発…すぐにリバウンド。

「何が正解なんだろう…」
「一生このまま、食べることに罪悪感を抱えたままなのか?」

そんな風に悩んでいました。

でも26歳のとき、私は栄養学を改めて学び直し、
カロリー制限や我慢ではなく、“正しく食べる”という方法に出会いました。

そこからは1日3食しっかり食べながら、14kgの減量に成功。
体型も、気持ちも、少しずつ整っていきました。

私は、「つらいばっかりで結果が出ない…」と感じている人に楽しみながら正しく痩せるコツを伝えたいです。

そんな私が管理栄養士になったきっかけは子供の頃の出来事が影響しています。

私は小さい頃、重度のぜんそく持ちで、
外で思いきり遊ぶことも、体育の授業もほとんどできない子供でした。

季節の変わり目や少しの無理で発作が出てしまうので、
吸入器を手放せず、病院通いと薬が欠かせない日々。
バレーボールやダンスをやっていた同じクラスの友達がうらやましくてたまりませんでしたが、私はいつも家の中で遊んでいました。

当時の私は外で遊ぶ代わりに、ひとりで「ポケモン」を繰り返しプレイして
世界に入り込むことだけが楽しみでした。

そんな私を見て、母は食事に全力で向き合ってくれました。
おやつも手作りしてくれて、バナナケーキが大好きだったことを覚えています。
当時はただ「おいしいな」と思っていたけど、
今思えばあの食卓には母の想いと愛情がぎゅっと詰まっていたんだと思います。

そのおかげで私は少しずつ体が強くなり、
ついには薬を卒業し、運動もできるようになりました。

中学・高校ではバスケ部に入って、水を得た魚のように練習に没頭しました
朝練のランニングから始まり、お昼休みも体育館でシュート練習。放課後も遅くまで体育館に残っていました。
あのときの時間が今の私の「粘り強さ」の土台になっています。

そして進路を決める高校3年生のとき、私は栄養士の道に決めました。
あのとき「食で体も人生も変われる」と感じた経験があったからです。

食べることは、ただの習慣じゃなく人生を支える力になることを一人でも多くの人に伝えたくて、 私はこの道を選びました。

でも、新卒で栄養士として働き始めた私は、思い描いていた理想の栄養士像とはかけはなれた働き方をしていました。

短大卒業後、私は埼玉県の介護施設で栄養士として働き始めました。
最初の現場は本当にハードで、毎日が時間との闘いでした。

献立作成、調理指示書、食材の在庫管理。
調理師さんが足りない日は、栄養士の私たちも厨房に入って大量調理。
早朝出勤や残業も当たり前、休憩時間も削って働いていました。

想像と違う社会人生活を送り、「仕事を楽しんでいる人が羨ましい」と思うようになっていきました。

3年目を迎える頃には、
「このままでいいのかな?」という不安ばかりが募っていました。

なんとか変わるきっかけを掴みたくて、私はキャリアアップを決意しました。
「管理栄養士になれば、もっとやりがいのある仕事や余裕ができるはず」
そう信じて、国家試験の勉強を始めたのです。

朝5時起きでカフェにこもって勉強して、通勤中も音声学習。
とにかく“今の自分を変えたくて”必死でした。

そして1年後、念願の管理栄養士に合格。
すぐに病院に転職し、一人暮らしもスタートしました。

ですが、憧れだった“患者さんの役に立つ管理栄養士”の姿はそこにはありませんでした。

提案しても「医師の判断を待って」と言われ、厨房と事務室をただ往復する毎日でした。
忙しさの中で、笑顔も感謝もほとんど感じられず、
ただの「補助的な存在」に感じることが多くなっていきました。

せっかく頑張って取った資格なのに、
いつしか私は「この資格に縛られているような感覚」にさえなっていたのです。

そんなある日、人生の転機がやってきました。
出産を終えた先輩栄養士が職場に復帰されたのです。

その姿を見たとき、ふと「資格があれば“戻ってこられる”んだ」という考えがよぎりました。

つまり、この仕事は“今じゃなくてもできる”。
それまでどこかで、「やめてはいけない」と思い込んでいた私にとって、
この気づきは衝撃でした。

そしてようやく「本当は、やめてもいい理由を探してたんだ」と素直な考えを受け入れました。

医療や福祉の現場は、いつだって人手不足です。
だからこそ資格があればまた戻ってこられます。


“今しかできないこと”を自分で閉じ込めていたのかもしれない。

そう思ったとき私は初めて「自分らしく働くってなんだろう?」と真剣に考えました。

がむしゃらに働いて、ダイエットも勉強も頑張ってるのに、心が全然満たされないのです。

そんな自分に気づき

仕事も、美容も、資格もがんばってるのに…「私はいつ変われるんだろう」

そう思いながら私は自分の過去をノートに書き出してみました。

辛かったこと。
乗り越えたこと。
誰かに喜ばれた瞬間。

時間をかけて丁寧に振り返ったことで、
ようやく「私が本当に届けたいのは、誰かの“心が動く瞬間”なんだ」ということに気が付きました。

病院や施設での5年間、私は患者さんと深く関わることがほとんどできませんでした。
5年のうち、感謝の手紙をもらったのはたった1度だけ。

やりがいを感じられず「私は誰の役に立てているんだろう?」とずっと答えのないまま働いていたのです。

「“私が一番苦労してきたもの”なら誰かの役に立って、もっと楽しく仕事ができるかもしれない」と思い、2023年の2月から思い切って個人でダイエットサポートを始めました

はじめはSNSやLINEを使って、少しずつお客様と関わっていきました。
体重や食事内容だけでなく、生活習慣やメンタルも見ながら「無理なく痩せる」ことにこだわって、できることはすべてやりました。実際にお会いして近況を聞かせてもらったこともあります。

その熱意が伝わり、開始3ヶ月で「みおさんに出会って人生が変わった」と言ってもらうことができました。

感謝のメッセージを頂いて、涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。

そこから働き方が変わって、厨房の中だけで仕事をしていた頃と違い、
今はオンラインで全国の方とつながれるようになりました。

リアルでも一緒にランチに行ったり、ピラティスやヨガをしたり
近況を知りながら、生活に寄り添えるこの関係性がとても好きです。

日常と仕事の間の境目がなくなり、お客様と自分の成長のために仕事に自ら挑戦できる環境がとてもありがたいです。


「ありがとう」と感謝の言葉をいただいて、私自身の人生も変わっていきました。

今はChange/meの講師として、ダイエットしたい方のサポートをしたり食事や栄養に関する勉強会や相談会を開催しています✨

Change/meとは、総年商50億社長の北原孝彦が代表するLaboratousという会社が手掛ける美容ブランドです。

ダイエットサポートの集客や経営について学んでいたとき、北原さんから縁を頂いたことが入社のきっかけです。

私の管理栄養士としてのビジョンは、美容と健康に分けて2つあります。

・“痩せる=苦しい”という誤解を世の中からなくし、「きちんと食べて、綺麗になれる」その知識と体験を届けること。

・「病院に行く前に、食卓で整える」を当たり前にできるよう、家庭に“栄養バランスの習慣”を根づかせる仕組みを作ることです。

毎日LINEで食事の添削やメッセージをやりとりしながら、
「一人じゃない安心感」と「無理なく続けられる仕組み」を届けています。


「もう痩せられないと思っていた」

「痩せてウエディングフォトを綺麗な姿で撮影できた」

「糖尿病が改善した」


と喜んでくれる方がいて、私はこのサポートに責任とやりがいを感じています。

卒業された方にお話を伺う中で、
「食べながら痩せられたことで、人生まで変わった」とおっしゃってくれた方がたくさんいます。

身体の変化にとどまらず、心や行動が整って自信を取り戻せた姿を見られる瞬間が本当に嬉しいです。

またChange/meでは著名な方や専門家を招いたトークイベントや美容レッスンなど、自分を磨けるたくさんのイベントを開催しています。

私もChange/meの大イベントの一つでもあるコンテストに登壇したり、各イベントの運営サポートをさせてもらいながら日々成長させてもらっています。

私が大切にしているのは、ただの一時的な減量ではなく人生が前向きに変わるきっかけを届けることです。

そのために、食事・心・習慣すべてに向き合い、自分の変化をみせることも私の役割だと思っています。

昔の私は、美容院にも半年行かないような、ズボラなタイプでした。

服を選ぶ基準も、
「体型が隠れるかどうか」。
髪型も、メイクも、「どうせ何しても一緒」と思っていた時期もあります。

でも、“ダイエットの先生”として人前に出るようになってから、
私の中で美意識ががらっと変わりました。

誰かの体と心に関わる以上、
まずは自分自身が「健康で綺麗でいること」を大切にしようと思えるようになりました。

お客様が変わっていく姿を見る中で、私自身も「もっと綺麗でいたい」と思うようになり、
コンテストに出ることを決意しました。

出場したのは、社会貢献を軸に活動する女性を多数輩出している「Beauty Japan」です。
地方大会には103名の応募があり、その中で事前順位2位/最終5位以内という評価をいただき、日本大会への出場が決まりました。

昔は友達もつくれず、学校で男子から「ブス」と言われたコンプレックスから高校と大学は女子高を選ぶような自己肯定感の欠片もなかった私にとっては、信じられないくらい勇気の要る挑戦でした。

でも、「自信をもちたい」だけじゃなくて「誰かの希望になりたい」
と思えたからこそ踏み出すことができました。

今は「誰だって自分の選択で人生を変えていける」と心から信じています。

私は食事と美容で変わった人生を、リアルに体現できる存在でありたいと思っています。

いつかは、美容や健康の商品をプロデュースしたり、
その商品のイメージモデルになったり、
本を出したり、メディアにも出たりして、もっと多くの人に想いを届けていきたい。

…と、夢はどんどん広がっています☺️

でもまずは、「今日よりも、ちょっと成長できる自分」を選び続けること。
それがきっと支えてくれた人や、今まで関わってきた人への恩返しに繋がると信じています。


浦島みお

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